ブログ・コラム
磨け!人間力
2012.12.02
おかげさまの連鎖
特に私のような自力タイプ(自分の努力や工夫で何とかしようとするタイプ)は、誰かのおかげで今があるということを忘れてしまいがちです。
下に1枚の絵があります。
私が書いた達筆な絵ですが、この人は、自分のチカラ(努力)で枝にぶら下がっています。
「どうだ!俺は誰の手も借りずに、立派にぶら下がっているぞ」
と言っています。
確かにその通りです。
自分でぶら下がるだけのチカラのない人もいます。
ぶら下がるだけの努力をしない人もいます。
その人たちに比べれば、この人は立派です。
でも、この枝自身も努力しています。
そもそも、しっかりした枝が無ければ、枝が折れて人と一緒に落ちてしまいます。
そして、枝が丈夫だとしても、しっかりした木が立ってるから、この枝と人はぶら下がっています。
もしこの木が根ぐされしてたり幹が虫に食われていたら、木ごと倒れてしまうかもしれません。
そして、この木は大地に支えられています。
大地が豊かでなければ、木そのものが枯れてしまうかもしれません。
私がいろんな仕組みを組み立てて、仕事を受注できたとします。
私は「ついに自分の努力が実った」と思います。
しかし、それは、仕事をくださったお客さまの優しさや配慮のおかげです。
そして、その仕事をいただけたのは、いままでに仕事をくださったお客様がいて、会社が存続できたからです。
そもそも、そのような仕事をいただけるのは、安定した地域や平和な日本であるおかげです。
私の好みどおりの日本や地域ではないかもしれないけど、それでも、この日本であるからです。
また、うちの社員が、いま努力して仕事で成果を出しているかもしれません。
社員は「私は、一人前に働いて、立派に成果を出している」と思うかもしれません。
でも、その仕事のいただいてきたのは誰でしょうか?
その仕事がいただけてなければ、立派に活躍することさえできません。
また、その仕事をいただけたのは、先輩がいい仕事をしてお客さんに喜んでもらったからかもしれません。
それらが積み重なって、「アーティスティックス」という会社への信頼からかもしれません
そのように、私たちは自分の努力の結果と思ってしまいがちですが、実はいろんなおかげの連鎖でいまがあります。
それを忘れてしまい、自分の努力のみに着目するのは、傲慢なことだし、それらの応援を遠ざけてしまうことになります。
私自身も忘れがちなので、誰のおかげで今があるのか、忘れないようにしていこうと思います。
2012.11.27
言葉尻への批判
きのうは、何の気なしに、Facebookへと以下の文章を投稿しました。
Facebookへの投稿内容(Facebookが開きます)
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ひとの言葉尻をとらえて「けしからん!」と批判する。批判だけじゃなくて、その人の存在自体を否定するようなことを言う。まったく非生産的な行為だとおもう。そして、それらが、いまの日本の悪い風潮を作っている。
けしからんと批判することで、批判されている人と批判している自分、どちらが正しくてえらいのか?もちろん、批判している自分。
そうすることで、自分の正しさに浸ってしまう。
でも、その人はその批判によって何かを成し遂げるのではない。
むしろ、成し遂げようとする人のじゃまをする。
それらが、日本中に蔓延しているな、そう思います。
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この私の書き込みに対して、とてもたくさんの方のご意見をいただきました。
まとめてみると、こんなご意見です。
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・多分悲しい人なんですよね。そうする事でしか自分の居場所、立ち位置を作れないのだから。
・全く同感です!若者を育てようとしない横暴な大人が多すぎます・・・心のゆとりのない人が多すぎるんですね・・
・自分の価値観でしか判断出来ない人は悲しいですね(>_<)
成長もないですね(苦笑)
・批判することは必要ではないでしょうか。言葉尻を捕まえて人格を全否定するのはいただけないけど、言うべき時にはキッチリ言う。むしろこのことをしなくなったから日本はダメになってきたんだと思う。
・建設的な対話が必要な時に揚げ足をとるシーンが多いですね。
・『責任を持たない批評家』が増えましたね?
だからこそ、周りの『正論のような、自己正当論』に惑わされずに、自分の理念に沿った行動が大切なのかも知れませんね。
・キーワードは、合意形成だと私は思います。
批判するなら、代案や改善策を提示して、さらなる高みを目指すならば、批判は生産性のある意味あるものとなりうるはず。
・単なる批判は、相手を否定して自己顕示欲を示す、自己満足かなぁ
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どの意見も、すごく大切なご意見だと思います。
私は、批判はときとして必要なことだと思います。
私が無駄だなと思うのは、話しの本筋に対しての批判ではなく、言葉尻や瑣末なこと、たとえ話や表現の仕方がうまくなかったようなことに対しての、集中的な批判です。
そこですか!って感じがするんです。
そこをいくら批判したり議論したとしても、何もならない。
どうせ批判なり議論なりするなら、話しの本筋でやりましょうよ。
枝葉にもならないようなことに突っかかっていて、どうするの?って思います。
2012.11.24
易しい説明は相手への優しさ
うちの社員がお客さまに説明しているところを聞いていると、「それじゃあ、伝わらないだろうなぁ」と思う時があります。
一所懸命ていねいに順番に説明はしているんだけれども、自分が説明することに一所懸命で、相手の理解度があがっているかどうかを気にしていない。
そして、そういう説明は、たいてい、雑誌か説明書に書いてあるような、専門用語のオンパレードだったりします。
なんでそういう説明をしちゃうのかなーってよく考えていたんですが、先日ふと思いました。
易しい、分かりやすい説明をする人って、相手に対しての優しさをもっているなぁと。
説明している人が優しいか優しくない人なのか、そういう話ではありません。
いまその瞬間、説明している人が、相手に対しての優しさというか、いたわりの気持ちというか、相手の側に立って考えているというか、とにかく、相手中心の説明になっているとき、分かりやすい説明になるのかなと思いました。
私たちはITのプロ。
だから、「これくらいのことは分かっているだろう」という前提の行動になってはいけません。
特に、「小規模事業者でも使えるITを」がテーマのアーティスティックスであれば、なおのことですね。
まだまだ、私含めて至らないことばかりだと思いますが、至らないところはフィードバックいただけたらありがたいです。
2012.11.21
ブログの前倒しは金
いやぁ、先週からひいていたカゼが、月曜日未明からひどくなりました。
セキが出始めると、全然止まらない。
息ができなくなります。
昨年も同じ症状になり、席をしすぎて失神するという、生まれて初めての体験もしました。
その中でも、ブログは毎日書く事にしています。
きのうもつらかったのですが、幸いなことに、おとといのちょっと調子のいい時間帯に、2つ(2日分)のブログを書いてしまいました。
なので、きのうは、体調が悪かった中、ブログを書かなくて済みました。
同じ仕事であっても、期限ぎりぎりにやるか、余裕を見て着手するかで、全然変わります。
前倒しでやったブログは、値千金でしたね。
しかし、きょうの分まで書いてなかったので、体調悪い中、セコセコと書きました。
あっ、今度は鼻血が出てきた(゚д゚)!
ブログとか書いてる場合じゃないかも・・・
では、きょうは早めに寝ます。
おやすみなさ~い
2012.11.19
できない理由はやりたくない証拠
きょう聞いた講演で、一番印象に残った言葉です。
自分のことを振り返ると、なるほどその通りだなと思いました。
できない理由を言っているときは、できないことを説明しているのではないです。
やりたくないとか、やろうとすると困難だとか、めんどくさいとか、そういう理由で、「やりたくない」と思っている時です。
人は、本当に上手にウソをつきます。
無意識のうちに、自分自身をだまします。
自分は本当にできないと思っているから始末に悪い。
できないのではなく、やりたくないのだということを認める。
やりたくないという感情自体は、べつに何の罪もない。
「あぁ、俺はいま、やりたくないんだなぁ」と気づくこと。
この「気づき」が大切ですね。