ブログ・コラム

磨け!人間力

2012.11.27

言葉尻への批判

きのうは、何の気なしに、Facebookへと以下の文章を投稿しました。

Facebookへの投稿内容(Facebookが開きます)
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ひとの言葉尻をとらえて「けしからん!」と批判する。批判だけじゃなくて、その人の存在自体を否定するようなことを言う。まったく非生産的な行為だとおもう。そして、それらが、いまの日本の悪い風潮を作っている。
けしからんと批判することで、批判されている人と批判している自分、どちらが正しくてえらいのか?もちろん、批判している自分。
そうすることで、自分の正しさに浸ってしまう。
でも、その人はその批判によって何かを成し遂げるのではない。
むしろ、成し遂げようとする人のじゃまをする。
それらが、日本中に蔓延しているな、そう思います。

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この私の書き込みに対して、とてもたくさんの方のご意見をいただきました。

まとめてみると、こんなご意見です。

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・多分悲しい人なんですよね。そうする事でしか自分の居場所、立ち位置を作れないのだから。

・全く同感です!若者を育てようとしない横暴な大人が多すぎます・・・心のゆとりのない人が多すぎるんですね・・

・自分の価値観でしか判断出来ない人は悲しいですね(>_<)
成長もないですね(苦笑)

・批判することは必要ではないでしょうか。言葉尻を捕まえて人格を全否定するのはいただけないけど、言うべき時にはキッチリ言う。むしろこのことをしなくなったから日本はダメになってきたんだと思う。

・建設的な対話が必要な時に揚げ足をとるシーンが多いですね。

・『責任を持たない批評家』が増えましたね?
だからこそ、周りの『正論のような、自己正当論』に惑わされずに、自分の理念に沿った行動が大切なのかも知れませんね。

・キーワードは、合意形成だと私は思います。
批判するなら、代案や改善策を提示して、さらなる高みを目指すならば、批判は生産性のある意味あるものとなりうるはず。

・単なる批判は、相手を否定して自己顕示欲を示す、自己満足かなぁ

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どの意見も、すごく大切なご意見だと思います。

私は、批判はときとして必要なことだと思います。

私が無駄だなと思うのは、話しの本筋に対しての批判ではなく、言葉尻や瑣末なこと、たとえ話や表現の仕方がうまくなかったようなことに対しての、集中的な批判です。

そこですか!って感じがするんです。

そこをいくら批判したり議論したとしても、何もならない。

どうせ批判なり議論なりするなら、話しの本筋でやりましょうよ。
枝葉にもならないようなことに突っかかっていて、どうするの?って思います。

2012.11.24

易しい説明は相手への優しさ

うちの社員がお客さまに説明しているところを聞いていると、「それじゃあ、伝わらないだろうなぁ」と思う時があります。

一所懸命ていねいに順番に説明はしているんだけれども、自分が説明することに一所懸命で、相手の理解度があがっているかどうかを気にしていない。
そして、そういう説明は、たいてい、雑誌か説明書に書いてあるような、専門用語のオンパレードだったりします。

なんでそういう説明をしちゃうのかなーってよく考えていたんですが、先日ふと思いました。
易しい、分かりやすい説明をする人って、相手に対しての優しさをもっているなぁと。

説明している人が優しいか優しくない人なのか、そういう話ではありません。
いまその瞬間、説明している人が、相手に対しての優しさというか、いたわりの気持ちというか、相手の側に立って考えているというか、とにかく、相手中心の説明になっているとき、分かりやすい説明になるのかなと思いました。

私たちはITのプロ。
だから、「これくらいのことは分かっているだろう」という前提の行動になってはいけません。
特に、「小規模事業者でも使えるITを」がテーマのアーティスティックスであれば、なおのことですね。

まだまだ、私含めて至らないことばかりだと思いますが、至らないところはフィードバックいただけたらありがたいです。

2012.11.21

ブログの前倒しは金

いやぁ、先週からひいていたカゼが、月曜日未明からひどくなりました。

セキが出始めると、全然止まらない。
息ができなくなります。

昨年も同じ症状になり、席をしすぎて失神するという、生まれて初めての体験もしました。

その中でも、ブログは毎日書く事にしています。
きのうもつらかったのですが、幸いなことに、おとといのちょっと調子のいい時間帯に、2つ(2日分)のブログを書いてしまいました。

なので、きのうは、体調が悪かった中、ブログを書かなくて済みました。

同じ仕事であっても、期限ぎりぎりにやるか、余裕を見て着手するかで、全然変わります。

前倒しでやったブログは、値千金でしたね。

 

しかし、きょうの分まで書いてなかったので、体調悪い中、セコセコと書きました。

あっ、今度は鼻血が出てきた(゚д゚)!

ブログとか書いてる場合じゃないかも・・・

 

では、きょうは早めに寝ます。

おやすみなさ~い

2012.11.19

できない理由はやりたくない証拠

きょう聞いた講演で、一番印象に残った言葉です。

 

自分のことを振り返ると、なるほどその通りだなと思いました。

できない理由を言っているときは、できないことを説明しているのではないです。

やりたくないとか、やろうとすると困難だとか、めんどくさいとか、そういう理由で、「やりたくない」と思っている時です。

 

人は、本当に上手にウソをつきます。

無意識のうちに、自分自身をだまします。

自分は本当にできないと思っているから始末に悪い。

 

できないのではなく、やりたくないのだということを認める。

やりたくないという感情自体は、べつに何の罪もない。

「あぁ、俺はいま、やりたくないんだなぁ」と気づくこと。

この「気づき」が大切ですね。

2012.11.17

出た結果とこれから出る結果

よく、「結果にこだわる」といいます。

また、「結果がすべてだ」「いや、大切なのはプロセスだ」ということがあります。

 

これらのやり取りを聞いていて、一つ気がついたことがあります。

それは、「結果」といっても2つの物を指しているということ。

 

それは、過去に出た結果と、これから出る(出す)結果です。

 

また、「プロセスが大切」という言葉は、よく、結果が出ないことへの逃げ口上として使われることも多々あり。。。

プロセスが大切ということは、実は徹底的に「これから出る(出す)結果」にこだわることだと思います。

 

私の考え方は、

・これから出る(出す)結果には徹底的にこだわる

・出た結果にはこだわらない

です。

 

ここで一つ大切なことが・・・

結果にこだわるあまり、ルール無視はいけません。

ずるいこと、違法なことをやって結果を出しても、充実感ではなく、不安感が増大します。

ルールを守ったうえで、結果にこだわる。

それが、「プロセスが大切」ということにもなります。

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