ブログ・コラム

磨け!人間力

2021.08.15

宿命、運命、使命、天命

きょうはお盆。

私の家のお寺(妻の家系)が

お寺に集まって1回でまとめて法要をする

というやり方で、

きょう家族で法要に行ってきました。

 

法要が終わって、

お坊さんからお話し(法話?)がありました。

宿命、運命、使命、天命の話しでした。

なるほどと、思って聞いていたので、

思い出しながら書いてみます。

 

たしか、こんな話しでした。

 

~~~~~~~~~~~~~

みんな、気軽にこれらの言葉を使っています。

何かが起きると、

「運命だったのかもしれないな~」

とか、

「これを天命と思ってあきらめよう」

とか。

 

でも、これらには、すべて違いがあります。

 

まず、宿命。

これはその人に宿っているもの。

持って生まれた、どうにもならないもの。

男だとか、女だとか。

どのうちの子だとか。

これらは、変えられない(男女については最近いろいろあるが)

選べないもの。

受け入れるしかない。 

 

次に、運命。

これは、未来のことで、ある程度、

自分でコントロールすることができる。

努力したり、事前に察知すれば、

変えることが不可能ではない。

ときどき、虫の知らせとか、

事前に察知することで、

大きなトラブルを避けることができたという

エピソードはよくある。

 

そして、使命は、与えられた、自分のすべき役割。

会社で任されたこと。

自分でなすべきことなど。

 

最後に、天命。

これは、もうどうしようもないもの。

隕石が落ちてきて恐竜が絶滅した。

こういうのも天命。

大きな災害なども天命かもしれない。

しかし、山の上に石碑があって、

昔ここまで大水が来たという記録があったりする。

そういうものを知っていれば、

災害は避けられないが、

その被害は個々に避けることが不可能ではないので、

運命ともいえる。

~~~~~~~~~~~~~

 

この話しを聞いて気になったことは、

運命は、ある程度コントロールできるということ。

 

似た話しで、運は引き寄せることができるともいう。

運のいい人というのは、

運を引き寄せる行動・生き方をしている。

 

昔の人は、運を引き寄せる生き方、

または、悪い運命を避けられるように

さまざまな諺(ことわざ)や寓話(ぐうわ)にして、

運命を察知できない私たちに、

分かりやすく導いてくれていたのだろう。

2021.06.05

小田原トーストマスターズクラブ例会

きょうは、

小田原トーストマスターズクラブの

例会でした。

 

今日の私の役割は、

TMOD。

ToastMaster Of the Day

トースト・マスターズ・オブ・(ザ)・デイ

意味は、「きょうの司会者」って感じかな。

 

トーストマスターズクラブは

スピーチの練習のクラブ。

 

私は、仕事柄、

場を仕切ったり、

会話を回したりすることが多い。

そして、それが下手(笑)

 

だから、TMODの役は、

とてもいい経験になる。

 

スピーチをやるよりも、

TMODをやりたいですね。

2021.05.26

Z世代はタイパ

先日の勉強会で、

Z世代の行動について、

Z世代自身から教えてもらいました。

その内容が、私にとっては

すごく感心することばかりのすばらしい話しでした。

 

いま、商店街に若者が買い物にいかない。

なぜか?

 

Z世代は、リアルとバーチャルで求めるものが違う。

上の世代がリアルに求めていたものが、Z世代はバーチャルに求めている。

 

Z世代は、

ネット上で友達と繋がる、趣味を展開する、Youtubeを見る。

ネット上に滞在する時間が長い。

バーチャルがすでに日常であり、

バーチャルが、いわばリアル。

 

リアルはすでに日常ではない。

リアルで会う。

リアルで買い物に行く。

リアルでイベントに行く。

これはすでに、特別体験。

 

日用品をリアル店舗に買いに行くということをしたことがないため、

そのような考え自体が、そもそも選択肢として思い浮かばない。

ここから10年、20年たつと、Z世代も30代、40代になっていく。

すると、上の世代もだんだんそうなっていく。

 

リアルだから日常なのではない。

リアルだから特別な日。いわば、ハレの日。

 

だからこそ、リアルで失敗したくない。

Z世代は前情報がないと行かない。行こうという気持ちが触れない。

事前情報(ネット)がないもの=危ないという認識をしてしまう。

失敗したくない、行ってがっかりすることは避けたい。

それはせっかくの特別な時間を無駄にすることになり、

タイパ=タイムパフォーマンスを悪くすることになる。

 

まだ、話しの内容は続いたのだけど、

前半のメモをベースに書いてみました。

この話しの内容もすばらしかったですが、

この話しを、理路整然と、数10人の大人の前で、

しっかり伝えることができるZ世代、頼もしいなと。

 

こういう若者の力を、先輩たちが自分の価値観でつぶすようなことなく、

力をのびのびと発揮させられたら、

とてもすごい成果につながるのではないか?

 

私の会社も、こういう力をガンガン発揮してもらえるような会社、社風に

していきたいです。

2021.05.11

逆境は、自分が自分自身に与えた試験問題

きのうは、毎月参加している西原ゼミでした。

今回のテーマは

穏やかな海では、優秀な船長も船乗りも育つことはない

~~ 逆境は、自分が自分に課した試験問題 ~~

 

いろんな話があった中で、

「逆境というのは、自分が自分自身に与えた試験問題のようなものです。

 その逆境には重要な意味が隠されており、その問題を解くことによって

 ワンランク上の人間に成長できる」

という話しがありました。

 

私は、いろんな課題(主として、仕事上の)は、

トレーニングメニューだと思うようにしている。

この、思う「ようにしている」というのがミソ。

なかなか、そうは思えないのだけど、

そう自分自身に言い聞かせて、取り組むようにしている。

 

逆境という名前がついたトレーニングメニューは、

私の、または会社の、弱いところをしっかりついてくる。

その課題から逃げても、

形を変えて何度も何度も、

課題が発生する。

まるで、神様が「ここ、ちゃんとしたほうがいいよ」と、肩を叩いているかのように。

その肩の叩き方は、たいてい、どんどん強くなる(課題が大きくなる)

 

私は課題から逃げてはいけないという気はない。

乗り越えるのも逃げるのも自由。

その人の選択だ。

でも、乗り越えることも逃げることもできる人が逃げるのと、

乗り越える力や覚悟がない人が逃げるのは、意味がまったく違う。

前者は本人の選択だが、後者には、選択肢がない。

逃げる一択だ。

その人の自由意志でもなんでもない。

選択肢がないんだもん。

不自由な人生だよね(あぁ、以前の俺の人生だ)

 

では、課題を乗り越える力がない人はどうするのか。

逃げる以外にどうすればいいのか。

実は、乗り越えるのと逃げるの二択のように思う人が多いが、

実は3つ目の選択肢がある。と私は思っている。

 

それは、

「課題がそこにあることを認め続ける」

というもの。

 

課題を正面突破するわけではない。

かといって、逃げるわけでもない。

ニュートラルな自分で、課題があることを認める。

その課題を否定しない。

自分を卑下(ひげ)もしない。

目をそらさない。

言い訳もしない。

他人や世の中や運のせいにもしない。

 

イメージの話しになってしまうが、

課題を壁に例えると、

壁を壊すでもなく、逃げて戻るのでもない。

壁を壁として、そこにあるのを認める。

無理のない力で、その壁をじわーっと押す。

自分が出せる力で、押し続ける。じわーっと。

時には、ちょっと強めに、でも無理のない力で押してみる。

びくともしなければ、またちょっと力を抜く。

でも、やっぱりじわーっと押し続ける。

 

そんなことを数年やっていると、

「あれ?この壁、強く押すと、ちょっとガタガタと動くぞ」

っていうときがくる。

または、

「もっと高い壁だと思ったけど低くない?ちょっと背伸びすれば向こうが見えるぞ」

なんていうときもある。

そうしたらチャンス。

行けるって思ったら、迷いなく行っちゃおう。

壊してもいいし乗り越えてもいい。

勝手に壁がなくなってるかもしれない。

すでに、自分にとって大きな課題ではなくなってるはずだ。

 

課題を解決するのは面積のようなもの。

大きな課題をすぐに解決するには大きな力が必要。

小さな力で解決したいのであれば、

時間軸を味方につければいい。

力の大きさと時間のかけ合わせ。

 

どの方法で行くのかは、

・課題の大きさ

・その人の力量

・他の課題との優先順位

・解決したときに期待できる効果の大きさ

・解決に失敗したときに予想できるリスク

・かけられる時間

・いま、突破するチャンス(追い風)があるか?

などを考慮して決めればいい。

その判断の根拠は・・・経験で養うしかないのかもしれない。

そこはまだ自分でもわからない。

その課題を認め続けると、意外とチャンスが来るときがある。

そこで突破するのがいいな~と思ってます。

2021.05.07

沼津高専を同友会として訪問

きょうは、沼津高専を訪問してきました。


(懐かしい・・・といっても、意外とちょくちょく来てますけどね)

沼津高専は、私の母校。

卒業が1986年なので、

もう35年もたってしまいました。


(私がいたころより、校舎も増えました)

 

いろんな立場で

沼津高専とは接点を持っています。

きょうは、私が所属している

静岡県中小企業家同友会沼津支部の

有志による勉強会として訪問。


(はぴロボで、沼津高専の学生が作ったロボットが大賞を受賞。その時の旗の前でパチリ)

 

沼津高専と同友会沼津支部は、

数年前から有志による勉強会を開催。

前校長が手弁当で感性工学を使って

私たち製品開発を手伝ってくれました。

 

そのご縁を引き継ぎ、

さらに継続・発展させるためにも

現校長先生にお会いしてきました。

 

沼津高専も、

昨年度は授業を立て直すことが最優先で、

私たちもお願いを遠慮していました。

 

年度も変わり、学校も全学生登校が始まり、

多少は落ち着いてきたので、

ここから未来に向けて活動していきたいです。

 

いままでは、どちらかというと

私たちがいただくばかりであった関係ですが、

お互いのメリットが出るような関係を築きたいです。


(近々、はぴロボを沼津で展示したいね、という話しも出ていました)

 

「沼津市には大学がないからダメ」

昔から何度もきいたセリフです。

これを聞くたびに、

とても残念な思いをしていました。

沼津市には沼津高専がある。

静岡市にも浜松市にもない、

高専があるじゃないか、と。

 

本科は5年生だから、年齢的には短大と同じ。

プラス専攻科2年行くと大学と同じ年齢。

十分大学相当(私の気持ちは大学以上)の高等教育機関。

 

沼津高専が、もう60年近く前からずっと沼津にある。

大学誘致とかいう前に、

沼津高専との関係を築き、

地域に活かしていく。

そして、地域が学校を支えていく。

地域の持つ力を最大限生かす。

これが先だよねと。

お互い協力関係にある地域ならば、

大学は来てくれるし、なくならないのでは。

 

ちょっときょうの文章は、

個人的な思いが入ってしまい

くどい文章になったが、

とにかく、これからが楽しみ。

そんな、よいディスカッションができた1日だった。


(とっても充実したディスカッションができました)

記録

日時2021/5/7(日) 10:00~11:30
人数1名(他5名)
内容沼津高専と中小企業家同友会沼津支部の有志による勉強会の準備のため、表敬訪問と意見交換をしてきました。

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