ブログ・コラム
磨け!人間力
2025.01.03
行動を変えるために
みんな、より良くなりたいと思うだろう。
私も思う。
今がとても良い方向に向かっていれば、そのままでいいかもしれない。
今と別の結果を手に入れたいのであれば、今とは別の行動をする必要がある。
同じ行動をしていて別の結果を手に入れようと思うのは、それは無理な話。
行動を変えることで、結果が変わる。
そんなことは当たり前だと言うかもしれないけど、
意外とこれが自分の事となると、当たり前ではないことが多々ある。
今までと同じ行動を繰り返しながら、別の結果を求めたり。
一言に行動を変えるというが、やろうとすると意外と難しい。
人は今までと同じことが好き。
それがたとえベストではないと分かっていても、
同じことをつい繰り返してしまう。それが人の特性だと思う。
行動を変えれば、よくなるかもしれないし、今より悪くなるかもしれない。
同じでいれば、昨日と変わらない明日が期待できる。
多くの人は、良くなることを求めるよりも、悪くなることを避けたくなる。
しかし、よくなりたかったら、変えるしかない。
目標設定、課題、学びなどは、行動を変えるためにある。
逆に言えば、今までと行動が変わらなければ、
課題や目標設定する意味はなく、また「勉強になりました」と言っても、
なにも学んでないともいえる。
せっかく決めた今年の個人目標。
行動変異していこう。
2025.01.02
・出会う
2025年は年男
遂に大台に乗る年
私もだんだん活動が縮小して落ち着いていく。
と、普通では、そうなってしまいそうなので、
あえてここでそれに抗(あらが)ってみようと思う。
今年の個人テーマ
『出会う』
新たな人と出会う。
そういう人たちと出会う場に新しく参加してみる。
または、場を作る。
ご無沙汰して来た人と会う。
出会ったまま親交を深めていなかった人と交流する。
または、今までやったことがないことと出会う、体験する。
本来私があまり得意としてない領域。
実はこのテーマで行くのを今でも迷っている。
この文章をきのう書いて、結局投稿せずに今になった。
若い時ならいい。
苦手なものに挑戦して、新たな領域に入るのは、若い人の特権。
今の私としては、足りないものがたくさんあるだろうが、
自分の得意な領域で勝負するのが本筋だということはわかっているつもり。
しかし、どうしてもいろんな人と出会うこと、
これは避けて通れないし、私の役目だと思う。
今の安住の地(コンフォート・ゾーン)から出る。
ということで、このテーマで当面行ってみようと思う(当面というところに若干の逃げあり)
2024.12.29
組織のいろんなポジションを疑似体験
私は20歳で学校を卒業し、地元の会社で技術者として6年9ヶ月働いた。
会社員としての経験は、それが唯一のものだ。
そこから30年以上が経過し、今では組織の中で経営者以外の立場で働く感覚を、ほぼ忘れてしまっている。
アーティスティックスを立ち上げ、規模は小さいながらもトップとして経営に携わっている。
その中で、自分の発言や行動が社員にどのように受け止められるのか、本当の意味では分かっていないのだろうと思う。
しかし、いくつかの団体に所属する中で、社員の立場を疑似体験できる機会があると感じている。
例えば、トップの振る舞いによって自分がどう感じるかを実感する。
また、団体の役員として、会社における小グループリーダーのような立場の責任や役割を考えることもできる。
トップ、リーダー、メンバーの関係性や役割分担、意見を吸い上げる適切な方法。
これらを疑似的に試行錯誤できる場として、私には団体活動はとても貴重だ。
会社でこれらを試すと、失敗したときに問題が起きることがある。
例えば、不満が高まったり、社員が退職したり、売上に悪影響が出たり。
しかし、団体での疑似体験であれば、失敗してもたいしたことはない(団体のみんなスマンww)
その場で学びを得て、責任を負う範囲も限られている。
団体活動の中で、トップとして、リーダーとして、また一メンバーとしての振る舞いを試行し、
得た知見を会社経営に活かしていく。
そうすることで、良い会社を作り上げることができれば、団体や地域にもきっとプラスの影響を与えられると信じている。
2024.12.27
・量が質を担保する
私の机の上には、日めくりカレンダーが置いてある。
これは、私が所属する静岡県中小企業家同友会の50周年を記念して作られたもの。
「私の机」と書いたが、フリーアドレスなので、
今日座ったところにいつも置いている。
今日のページには、こう書かれている。
「量は質を凌駕する」。
なるほど、私にとってタイムリーな言葉。
私たちアーティスティックスの経営指針書には「量が質を担保する」という行動指針がある。
この二つの言葉には、少し似たものを感じた。
私は飽きっぽい性格で、継続が苦手だ。
しかし、その割には諦めも悪い。
技術に関してはそこそこできた方だが、営業は非常に苦手だった。
ましてや経営など、絶対にできる人間ではなかった。
そんな私でも、30年続けると成長するもの。
人には得意な領域もあれば苦手な領域もある。
だが、どんなに(最初は)得意な分野でも、継続している人には大抵かなわない。
たとえ苦手な領域だったとしても、量をこなせば成長する。
重要なのは、昨日の自分よりも今日の自分が少しでも上回っていること。
それだけで十分だと感じている。
「質と量のどちらが大切か」という問いをよく耳にするが、これはどちらか一方だけを選べるものではない。
両者には深い関連性がある。
初めから質の高いものを生み出すことは難しい。
量をこなしていくことで質は高まる。
いや、正確には、「質が高まるような量のこなし方をする」と言うべきか。
そして、みんなで「共に成長」していくこと。
それが本当に素晴らしいことだと、私は感じている。
2024.12.25
議論の潮目
きのうに引き続き、本日も長文のお時間がやってまいりました(笑)
昨日、地元の地区で議論が紛糾したことを書いた。
紛糾するときには潮目が変わる瞬間がある。
いろいろなケースがあると思うが、
私が気がついて意識しているのは、だいたい以下のようなこと。
・声が大きくなる
・人によってはむしろ話しの声の抑揚がまったくなくなる
・言葉選びが極端になる
・自分のことではなく、相手のことを話し始める
・特に相手の今の発言の言葉尻を取り上げ始めたら危険
・体を不自然に動かす
・相手を睨みつける、あるいは聞いている時に目をそらす
・相手が話している最中に言葉を挟み始める
・第三者の意見を挟む余地がなくなるほど、二人の意見の応酬になる
などなど。
他にもあるだろうが、これらが複合的に見受けられたら危険水準。
このような状況になった場合、特に双方にその兆候が見え始めたら、
それは潮目が変わったと考えることが多い。
片方だけで、もう一人が冷静に対処していれば当事者に任せることもあるが、
双方そうなると自分たちでは止まらないため、
第三者が割って入るほうが良いと私は考えている。
冷静に対処しているように見えて、実は”対処できず黙っているだけ”という人(または状態)もある。
その場合は、流れを変えたたほうがいい。
ずばりフィードバックするときもあるし、別の話題に持っていけるならそうするときもある。
ちなみに、自分が当事者だったとして、その場合どうするか?
これは私はちゃんとした策を持っていない。
・一定時間だまる
・第三者に向けて話題を振る
くらいかなぁ。
「ありがとうございます」
で議論を終了させてしまうこともある。
あまり多くの手段を持っていないうえに、自分のこととなるとヘタだ。
なので、自分が当事者だと、よく紛糾する(ダメじゃん!)
先日のサイボウズの青野社長の講話では
「今の発言は傷つきました」
と、フィードバックするとおっしゃっていました。
確かにそうだなと思う反面、過去の私はそのような対処をしたことがなかった。
これから使ってみよう。
うまく使えるかな。
皆さんはどう思いますか?
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