ブログ・コラム
2012.06.10
人の和はお互いの努力の上に成り立つ
きょう、ある人とのFacebook上でのコメントのやり取りの中で、「人の和」について、改めて考える機会があった。
人の和と言うのは、お互いの努力の上に成り立つと、私は思っている。
どちらか一方では得られない。
お互いが、みんなが、「和を保とう」と、努力をして、初めて和がたもたれる。
逆に、和を崩すのは、たった一人でできちゃう。
こういうことを書くと、きっと何割かの人は、「では、和を保つためには、自分の考えを推し殺さなきゃならないんですね」と言います。
自分を押し殺すのは、和ではなく、単なる平穏。
問題が表面化してないだけであり、内面では不満がたまっている。
これは、和が取れてるとはいえない。
相手の意見を聞く努力も必要だし、伝える努力も必要だし、話し合う努力も必要。
でもそれは、聞かさることではないし、文句を言うことでもないし、口げんかすることでもない。
言いにくいかもしれないけど、自分の意見をしっかり伝えたりせず、単にだまってるとか、
冷静に伝えるところを、文句のような伝え方をしたりとかしない人は、それ自身が和を乱すことになる。
和を保ちながら目的に向かうのは、なかなか大変なのだ。
リーダーにもメンバーにも、それなりの力量と成熟が求められる。
成熟してない場合(たとえば幼稚園児とか)は、和ではなく、「一時的には」服従させることも必要だったりする。